toushitsu-memo

統合失調症の母親と向き合うための記録

病院

母が病院へちゃんと通うことになったのは中学生の頃でした。

それまでは全く行ったことがないというわけではありませんでした。

病院へ行っても、待合室で待っているとき、「トイレへ行ってくる」といって、抜け出して近所の交番へ駆け込んで警察から連絡がきたり、病院へ連れて行こうとすれば抜け出してタクシーで祖母の家までいったりと、もう父も諦めていました。

が、中学生の頃、ようやく祖母の説得で、母の実家の近くの病院へ通うことになりました。ただ、車で約2時間かかる場所で仕事が忙しい父にとってはかなり面倒ではあったんだと思います。通院も1年続きませんでした。

そこの病院では、パニック障害と告げられたそうです。

しばらくして、父は病院へ連れていくのもやめてしまい、母ももう行かなくていいのならそれでいいと思ってしまい、気づいたら私も中学を卒業していました。

中学時代の家族は今思い出しても辛かったです。父は夜中まで帰ってこず、母と私の二人しか家にはいませんでした。よく母が妄想でおかしくなって、包丁を持って追いかけてきたり、いきなり怒鳴られたり、しまいには首を絞められたり。本当に家が怖かった。

学校では母親が変人扱いされるのが怖くて友人に相談することもできず、先生にも相談できずじまいで、ずっと一人で抱え込んでいました。部活動が終わって夜家に帰っても家は真っ暗で、もちろんご飯なんか用意されていないし、疲れ切っていても何も食べず寝ることもありました。

ですが、中学を卒業して、高校へ入学したとき、急に母の病気がよくなりました。陰性症状もなくなり、昼間はパートをしたり、スポーツジムに通ったりができるようになり、クラスの保護者委員にまでなりました。

ただ、どうしてよくなったのか今でも不思議です。

高校生活のこの3年間だけは普通の家庭と変わらない母親になっていました。

母の様子が変わったとき

母が統合失調症の症状が出はじめたのは、私が10歳のときでした。

ある日「胸にしこりがある。乳がんなのかもしれない」ということで、病院へ検査することになりました。

結果は乳がんではなく、脂肪の塊のようなができていて、結果的に手術をして取り除くことになりました。後遺症などはなく、摘出してしまえば今後問題はない。ということだったようなのですが、母は「これがきっかけでガンになるのではないか」と、医師がいくら否定してもそう思い込んでいたようです。

当時、母は宅配業者のコールセンターでパートとして働いてたのですが、手術が終わり、数日後には出勤しなければならないということですぐに働いていました。

そして1ヶ月程たってから、母がいきなり「あの医者はデタラメばかり言うヤブ医者だ」などと言いはじめ、病院へ押しかけたり、何度も電話しはじめたりするようになりました。父はいつも止めに行ったり、他の病院でも検査してみようと言って、いろんな病院へ行ってはみたのですが、やはり同じ結果で、もう大丈夫とのことでした。

それから仕事をやめ、しばらく家で落ち着こうとなったのですが、ここからどんどん母が妄想深くなっていき、ありもしないことをよく話すようになりました。

あとから父に聞いた話だと、コールセンターでの仕事で、上司からのセクハラやパワハラがあったり、辞める時に少しもめたことがあった。と言っていたので、たぶん相当なストレスが溜まっていたのも原因だったんだろうな。と思いました。

正直、あまり幼い頃の記憶がないのですが、病気になる前の母について。

人柄についてパッと思いつくのは、はつらつとしていて、行動力があり、積極的にいろんなことに参加していたかなと思います。パートも良くしていて、仕事が好きだったんだと思います。幼い頃たまに、パート先の運動会のようなレクリエーションに私も連れていってもらったりしました。私が小学生に上がる頃から何故かやたら転職はしていました。スーパーのレジ、事務、コールセンターなどを転々としていたような気がします。あとは英語が得意で、英会話教室に通ったりもしていました。

子育てに関しては、模範的ではなかったと思っています。初めて私が家で留守番した時は3歳の頃でした。これがアメリカだったら……と思ってしまいます。これは母だけの責任ではないのですが。長期休みは必ず数週間は祖母の家に預けられていました。

母は怒るとすぐ手が出るタイプでした。よく殴られたり、蹴られたり、お湯をかけられたりしていました。私の言うことは一切信じてもらえず、友達からもらったプレゼントなども全部「盗んできたに違いない」と思い込み、よく返してきなさいと怒られていました。

私自身が幼少期の当時、もしかしたら程度なのですがADHDではなかったのかなと思っているのですが(授業中じっとしていられなかったり、整理整頓ができなかったり、家に帰ると宿題の存在を忘れてしまったり……など)それに対しての母親や父親からのしつけがすごく怖かったのを覚えています。自分でも何とかしようとするのですが、どうしても「忘れ物」だけはうまく対処できず、中学生になった頃やっと周りの子たちと同じぐらいのことができるようになりました。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、とにかく小さい頃の母は怖い存在でした。

それでも、風邪を引いた時はちゃんと看病してくれるし、家族で旅行に出かけたりすることもあり、怖いだけではない部分もありました。